連日の炎天下。
歩いて30秒の川。
選択肢は1つ。
というわけで毎日川遊び。
そして魚とりだ。
生水の郷の川は、町長のこだわりとの造り。
川の両岸に穴の空いたブロック塀が埋められ、魚やザリガニの棲家になる。
水かさ自体はそれほど深くなく、膝くらい。
だから泳いで楽しむというより、
とにかく魚を捕まえる。
川の上流から、みんなでいっせいに全力疾走。
ばっしゃばしゃ賑やかに走れば、そこかしこで慌てふためき、逃げ惑うアユ、ドンコその他多くの魚達。
そしてすばやくブロックの溝に手を入れると、もう今晩のおかずが手に入る。
バケツいっぱいの魚を「こんなに取ってどうするんだぁ!料理だけで日がくれてしまう!」
と、西村氏も嬉しそう♪
もちろん、自分達で獲った魚だから、腹を開いてワタとウロコをとる下処理は自分達でする。
さっきまで自分達で捕まえるのがとても楽しかった魚に、いざ包丁を入れる段になって、
急に「残酷!」とか「気持ち悪い!」「かわいそう!」とかいった言葉が口々に出てくる。手が止まる。
でも考えて欲しい。これは本当に残酷なのだろうか?
ちなみに獲った魚は、川端に放した間に逃げたものを除いてすべておいしく頂いた。
決して獲って遊んでただ殺したわけではない。
その違いを考える、とてもいい機会だったと想う。
「感謝して、命を頂く」。
それが「いただきます」という、食事の挨拶に込められている。
いつかテレビで、四万十川の漁師が船の上で釣り上げて振舞った魚料理に、
「残酷じゃないですか・・・?」
と質問したレポーターがいたが、
自然教室に来ている少年少女のみんなには、
そんなカマトト人生を歩んでほしくはないな、
などと想う、いちリーダーである。
まな板に乗った魚をおそるおそる指先でつまみながら、一人の女の子が言った。
「魚、いっぱい捌いたら、いっぱい魚に呪われたらどうしよう・・・」
「じゃぁ、今まで君が食べた魚や牛や豚や鳥や、
そして実は野菜や果物も生きてるからスイカやナスビやリンゴや、
なんやかんやが全部君の事を呪って出てきたら、
毎晩自分の部屋大変なことになるなぁ・・・。今までそんなことあった?」
「・・・。そっか。そやな」
彼女はその1日で何匹も魚を捌き、ちょっとした料理人みたいだった。