智頭での宿泊に利用している野原の家では、普段の都会の生活ではお目にかからない道具を多く見かける。
農具などは鍬1本にしても大阪では使うこともないだろう。

OSKのメンバーは智頭で農作業をする中で、普段の生活では接することのない道具に触れる。

鍬や鋤を始め単純な刃物から、千歯扱き、唐箕などの便利農具、さらにはエンジンのついた耕運機、コンバインなど。
耕運機など、今では日常的に扱っているが、大阪に住む同年代の人間が使うことがあるだろうか?全体+左右独立、計3つのクラッチに加え、高低×1~4、計8のギア比操作だなんて、車好きが聞いたら垂涎ものだろう。

作業が終わったあと、家で食事や、その後の憩いの時に活躍するストーブ。

最近では石油やガスのファンヒーターやエアコンが人気だが、おれが小さい頃は田舎においてあった、灯油のストーブ。
丸い綿にマッチで着火し、古いものは煤ばかり出てどうしようもないが、上に鍋や餅、スルメを乗せて焼いた。

そしていざ寝るときに重宝するのが、豆炭行火(あんか)だ。

そろそろ寝る時間と言う頃、人数分の豆炭をコンロにくべる。ちなみに代表西村氏は2つだ。
真っ赤に焼けた豆炭を、専用のケースに入れ、さらに火傷防止の布カバーにくるみ、布団に入れる。朝までぬくぬくだ。

普段の生活では、暖房や冷房、電気その他の道具があって当たり前という感覚になってしまっているが、実はそうではない。
智頭で作業をしていく中で、道具が無いなりになんとか進めた仕事があり、そのしんどさを知った上で、ああこの道具があればこんなに楽に、快適になるんだ、という経験をしている。

普段の生活に溢れる道具は、人が便利を求めて来た結果である。
智頭で触れる道具の多くは、便利を求めてきた「経過」だ。
石油ストーブはちょっとずれたら煤だらけだし、
豆炭アンカは使った後いちいち全部開けてカスを捨てなきゃならんし。

でもそんな、「何も無いよりちょっと便利な道具」が、懐かしくて、おもしろい。