昨日テレビで、
「きのこの未来を切り開いた男」、森喜作についてのドキュメントを見た。
群馬県の裕福な家庭に育った彼は、京都大学の学生時代、農村経済の実態調査の為に大分県の山村を訪れる。
土地の貧しいこの辺りの山村農家は、炭焼きやシイタケ栽培をしながら細々と暮らしていた。
江戸時代から伝わる当時のシイタケ栽培方法とは、ナタで切れ目を入れた丸太を1年おき、シイタケの生えるのを神に祈るのみというお粗末なものだ。
「山の神様、どうか大きなどんこを授けてください。どうか娘を売らずにすむように」
これでは栽培と言えるようなレベルではない。
「確実なシイタケ栽培の方法を見つけて彼らを救いたい・・・」
研究所を建て、シイタケの構造を徹底的に調べ始めた森喜作。
その成果が、我々にとって意外と身近なものだった。
熱田で丸々と育つ、おっちゃんのシイタケ。
智頭で豊作だった、ナメタケ。
栽培の準備はどちらもほぼ同じで、それぞれ適した種類の丸太にドリルでいくつも穴を開け、「種駒」と呼ばれるキノコの菌を含んだ木片をカナヅチで打ち込む。乾燥を嫌う菌を殺さぬよう、日陰の湿った場所で栽培する。
神頼みではなくなったわけだ。
個人的に、キノコの中ではシイタケの順位はそれほど高くないのだが、熱田のシイタケは別だ。
丸々と育ったのを根元からちぎり、炭火の上で醤油をひとさし。
智頭で食べたナメタケも、大根下ろしとの相性が抜群だ。市販のものと違い、大きさが不揃いなのも逆に魅力だ。
おいしいキノコを食べるための、種駒植えの作業。
田舎での農作業の1つとして、OSKの中で普通に接してきたことだが、
その技術に辿り着くために大きな努力をした人が1人。
農業の歴史を少し垣間見れた、おもしろいテレビでした。