発送作業が終わったその日、完成したばかりのみどりのしんぶんは会員の子ども達に宛ててポストに投函される。
例外として、ポストに入れられずに、人の手を介して届けられるものがある。
一つ、事務所にほぼ毎週来る、現役のリーダーの弟や妹に宛てたもの。
事務所に来たときに、「渡しといて~」ってやつだ。
二つ、現役のリーダーが住む地域に、子どもの家が密集している場合。
古き良き自然教室の伝統のようなもので、例えば1月の凧揚げの舞台となる堤防のすぐそばにある中津小学校は、おれが小学生だった当事クラスに1人2人は例会に行ったやつがいたものだ。ちなみにそのころのおれはお家大好き少年だったので参加していない。
こういう場所には切手を貼って郵送せずに、同じく中津に住むリーダーの手で直接配られる。そのため中津に届くしんぶんの封筒には、切手も消印も無い。
おれが高校生リーダーとして自然教室に参加してすぐ、それまで中津のしんぶんを配っていた兄貴分の聡志リーダーから、しんぶん配りの大役を押し付けられた、あ、いや、仰せつかった。
ちなみにその布石として数度、ある休日急にわが家に聡志が現れ、「一緒にしんぶん配ろう!」と誘われたことがある。当時OSKに参加したばかりでやることすべてが新しかった時期のおれはまんまと策にはまったわけだ。
自分が配るようになってしばらく後、聡志が漏らした言葉。
「たかしは頭エエわぁ。おれはしんぶん貰ったまんま配るから1丁目、3丁目、2丁目を脈絡無く行ったり来たりするけど、たかしはちゃんと数字揃えてから配るから速いわぁ」
・・・褒められた気がしない。
それから次に定着する中津民のリーダーがいないまま、何年も中津のしんぶんは基本的におれが配り続けてきた。
中津に同じく手配りをしているのは、波除といって港区の一部を龍生始めその近くのリーダーがしているくらいか。
手配りをしているので、中津の子については顔と名前と「住所」が一致する。
自分の担当している学年以外の子でも、中津の子であれば名前を聞けばどこに住んでいるかわかる。
しかしそれももう昔のことになってしまった。
ここ数年、中津の手配りの封筒が減ってきた。
そういえば今年は中津の子どもは1人もいないのではないか?
これは寂しい。
配る封筒が多く、時間がかかってしょうがない時期は、めんどくさいとしか思っていなかったしんぶん配りだが、どんどん子どもが減ってきているという現実を目の当たりにすると寂しくてしょうがない。
おれの出身校である中津小学校は既に全学年が1クラス編成でもおかしくないような人数しか子どもがいないようだ。
子どもが減ったから、それにつれてOSKに参加する子も減って当然だ、という考えには一理ある部分がある。
しかし、生の自然や、自分より一回りも大きい大人と向かい合う機会の著しく減った現代っ子にこそ、例会に参加して「暴れ方」を知ってほしいものだ。
今OSKを動かしているリーダーがリーダーでいる理由はあくまで「自分が楽しいから」というのがスタートで、だからこそこれほど長く自然教室が続く力になっている。
ただ、自然教室の活動はあくまで子どもが主役であり、子どもあってこそのすべてのイベントである。
子どもの数自体が年々減っている今、泥んこになって遊ぶことの楽しさを少しでも多くの子どもに知ってもらえるように、自然教室自体を知ってもらう努力を少しずつ初めていこうと思う。