1週前のことになるが、24日、針江地区「生水の郷」にて、年中行事である藻刈りに参加してきた。

3月、5月、7月、11月の年間4回行われる針江大川の美化運動で、地区の人たちが続けているものだ。
水の流れをよくすることでゴミをたまらないようにし、水をきれいにする。琵琶湖より魚があがって来るようにする。などの効果がある。代表西村氏と佳奈子、咲と共に胴長を着込み、地元の人たちに混じって午前いっぱいの作業だ。

午後からは針江の自然観察。
「ミズスマシ・プロジェクト」といって、針江の自然を守り育てる為の動きがあり、その内容は多岐に渡るのだが、その一環として、休耕田に魚の通ることができる水路を作り、そこに住む、あるいは通過する生き物を観察する。

魚は水温を我々よりも敏感に感じ、それによって季節を感じ、すでに上がってきているものや、去年に比べてまだ現れないものがいる。生水の郷に住む人は、毎年、この魚が帰ってきたとか、まだ来ないとか考えながら生活しているようである。

地区の神社の外堀を通る水路に鯉が泳いでいて、帰る途上小さな男の子がパンのカスを与えていた。
せいぜい、投げられたパンを鯉が捕らえる、というシーンが普通なのだろうが、男の子はパンの切れ端を握ったまま手を水中に差し入れ、鯉は彼の指といい手といい、夢中で食らいつく。警戒心、というものが、生水の魚、特に鯉については少し欠けているのではないかとさえ思う。

そういえば去年の夏、寺の池の藻刈りをしている時、両手で抱える大きさの鯉が足元に近づき、まるで慣れた犬をあやすように撫でることもできた。

水、を生活の中心に据えている以上、人と、水中に生きる生物との関係は我々が想像できる以上に特別なものがあるのかもしれない。