6月の半ば、中津の自宅から程近い淀川の河川敷を仕事帰りに走っていると、下草のかげに黄色とも緑ともつかないほのかな光を見つけた。
蛍だった。
さすがに蛍が住めるほど綺麗な川ではないだろうと思いながらも携帯の写真に撮り、かっすんに話したところ「淀川に蛍なんて聞いたことないし、新聞に写真くらいのるかも。一応西村さんに聞いてみ」。
かなり盛り上がりつつ西村氏に確認すると、どうせJRの駅ビルかスカイビルあたりで放されたのが逃げてきたのだろうと。そういえば既にその蛍は弱りきっていたように思う。
古代では死者の霊魂と信じられていたように、弱く明滅しながら彷徨うように飛ぶ姿には、幽玄という表現がよく似合う。
蛍の光を見ると思い出す夜がある。
大学生の頃、一葉と共に美方町の野間谷、吉田操さんのお宅で夏の特別教室を行っていたときのことだ。参加していた1人の女の子がホームシックにかかった。
街灯ひとつない夜の道を、花火とバケツを抱えて歩く一行の中でその子がさめざめと泣いていた。見つけるのが遅れてしまったのは、ここへ来てからの数泊、よく喋りよく笑い、最も楽しんでいた女の子だったからだ。
花火の一群から離れ、心が落ち着くように二人並んで座り、話をした。結局、家に帰る以外に根本的解決法はなく、しかし「あともう2泊で家に帰れるからね」という慰め方は企画側のおれからはしたくない。
なんとなく2人で座りながら、向こうに見える光はお寺があったところだなぁとか、今日はカシオペア座がよくみえるなぁとか、いつも学校では何して遊んでんだとか、「家族がいなくて寂しい」という地雷を注意深く避けながら話をするうち、落ち着きを取り戻した彼女はホームシックになった自分の心を語りだした。
彼女の心を堤に例えるなら、それを決壊させた最も大きな洪水は夜の闇と花火の光だ。しかしそれは最後のきっかけに過ぎず、既にその堤には無数の小さな傷や穴があった。
曰く、神社の境内で遊びながらも「弟がいたらもっとおもしろいのに」と思い、笑いながら大勢で食事をしても「いつもは家族でごはん食べてたなぁ」と考えていたそうだ。その時その時はすべて笑顔で、楽しみながら、である。
不思議な心だなと思いながら、二人でまたあれこれと話した。蛇行する山道の端に座りながら、そのすぐ先ではみんなが花火を楽しんでいる。
自分の気持ちを言葉にし、気分も落ち着いたのだろう。涙もとまり、さっきから藪の中の一点を見つめるおれの視線の先に、彼女も気付いたようだ。
蛍だ。
光る虫だということは知っていたようだが、幼虫も光るというのが彼女にとって新鮮な驚きだったようだ。手に取って渡してやると夢中で駆け出した。花火は中断。その場にいた全員が彼女の手の中で薄淡く光る蛍を見つめている。さっきまで寂しいと泣いていたその子が、次の日の夜蛍を取りに行こうとおれに言ってきた。
今年は2年生を始め低学年が多く、子どもを自然教室のようなお泊りに出したことがないという保護者の方もいるだろう。
「ホームシックにはなりません」とは保障できないが、それが不安だからお泊りにやらないという人がいるとすればおれからすればもったいないなぁという気持ちでいっぱいだ。
家族と離れるのは寂しいに決まってるのだから、ホームシックは言わば自然な心なのだ。泊まりに参加して慣れれば平気になる。安心して、むしろ「それくらいなるかも」というくらいの心積もりで送り出してほしい。
大阪から3、4時間、ときにはフェリーで半日かけて行く特別教室には、やはり日帰りの例会とは比べるべくもないものがある。
美方、智頭と毎年のように初夏の蛍を見る機会に恵まれてきたが、あのなんとも言えない情緒の光を目にする度に、取りとめもない話をしながら二人で座っていた夏の野間谷を思い出すのである。