大阪から美方町までは車でおよそ4時間。リーダーにとっては当時ちょっとした里帰りのようなものだった。里帰りといえば、我らが熱田のおっちゃん、田渕徳佐衛門氏を自然教室に引き合わせてくれた地元の宮司さん、西田さんとそのおばあさんを訪ね、すゑのさんちに向かう前に挨拶をした。

田舎の家というのは家の広さもさることながら、その周りの敷地がたっぷりとあり、自家用車や、農機具を置く離れを置いて十分な造りになっている。当然のことながらそういった公道でない場所はその家の人が自ら雪かきをしなければならず、必要な部分以外には降り積もるままの雪が残っている。
西田のおばあちゃんは今からすゑのさんちに登って雪下ろしをすると言う我々に、「雪が眠っているから気をつけて」と言われた。

さて、前編に書いたように軽い遭難をしながら着いたすゑのさんち。着いてまず始めなければならなかった作業は、雪に埋もれた「玄関」を掘り起こすことだった。その後止水栓を探し、ライフラインを確保する。水を止めているのは水道代がもったいないからではなく、普段無人のこの家では水道管の中に残った水が凍り、それが膨張して管を破損するからだ。雪の降る前に止水栓の上に目印の竿を立てておいたのだが、その竿以上に積雪し、またその過程で竿自体も倒れたり折れたりで結局記憶を頼りに大変な作業になった。

仮に水が出なくとも、すゑのさんちには自然の水を溜めた井戸のようなものが室内にあり、飲み水に困ることはないのだが、井戸が設置されている部屋には一面冬眠中のカマドウマがこびりついており、とても近づく気になれなかった。六郎はどうせ平気なのだろうが、ちなみにカマドウマの俗名は「便所コオロギ」である。いやでしょ。

食事は、1にも2にも鍋である。理由は単純で簡単。早い、安い、温まる、洗い物が少ない。田舎の冬を快適に過ごすコツはいかに部屋を暖かくするかにかかっているのだが、六郎とおれ、それに同行してくれていたヒゲ氏は家の中で最も狭いコタツ部屋に固まり、トイレと食事、暖房の燃料補給のとき以外はひたすら閉め切った空間でちぢこまっていた。

せっかく泊まりにきたのだからちょっと手の込んだ料理でも作って遊べばいいのにと思う人には、是非冬のすゑのさんちの台所で思う存分料理をしてみてほしい。何が辛いって、床の冷たさがあれほど応えたのはすゑのさんちくらいである。足が冷えたら最後、体全体冷えるものだ。
家全体がすっぽりと雪で覆われているのだから、寒いのも当然である。その雪の重みで家が傷まないように屋根の雪を落としてしまおうというのが今回の雪下ろしの主旨である。
長靴を履き、カッパを着込み、靴とカッパの隙間から雪が入るのを防ぐためスパッツを着け、手袋の上に防水性のオーバーグローブをはめるという完全装備で、ともかくも屋根に上った。