長く智頭で農業をやっているが、田植えが終わったあとの時期、茶摘と新茶作りだけはタイミング悪くこれまで1度も経験しなかった。
週末初めて新茶作りをしたので、そのことを書く。
GWに田植えが終わり、これからは基本的には畑の作物を世話しながら、いずれはびこる稗との戦いに備える。我々が智頭で暮らす集落「野原(のばら)」の家から裏の国道を下り、地元の小さなお店「那岐ショップ」の横を山手に抜けしばらくするとその田んぼがあるのだが、那岐ショップのすぐ隣に低木の街路樹のようなものが植わっている小さな区画があり、よく見るとこれがお茶畑である。
お茶の作り方はシンプルで、要するに乾燥させる。
大きな鉄鍋で、まずは摘んだ茶葉を炒る。ある程度の焦げも香ばしさや風味の元になり、それは個性になるのだが、とにかく焦がしてしまわぬように茶葉をかき混ぜる。
炒って熱くなった茶葉を、むしろに移し、揉みこんで水分を出す。この工程を2、3度繰り返すと、摘んだばかりの瑞々しい茶葉の水分が抜け、細く縮んでくる。
あとはこれを適当に陰干ししておけば、いつでもうまいお茶が飲める。
お茶の葉というのは緑茶にはこの種、ウーロン茶にはこの種というように種類が分かれているというのではなく、どう作るか、すなわちどこまで発酵させるかという違いで種類が変わるらしい。小差あれど基本的には1種類、というのは人間の種類に似ている。先に「揉みこんで水分を出す」と書いたが、このときに葉の繊維を潰して発酵を促しているようだ。
智頭で農業をやっていて思うのは、自分たちで育てた植物が目の前で食べ物に変わる瞬間を目の当たりにするということは実に楽しいことだということ。そして、昔の人はこの植物を食べるのにどうしてこんな方法を思いついたのだろうか、という驚きである。特に発酵食品というのは見た目腐っているというのと紙一重で、よくこんなものを口にしたな、とかよく見つけたなと感心する。しかし一から手作りした智頭の味噌はそれは旨いんだ。
今年も収穫が追いつかないような野菜たっぷりの夏がやってくる。収穫後の食事のことを考えながら一日野良仕事をするのは、ある意味即物的とも言えるが、都会では味わえない本当に健康的な生活が、そこにはゆったりと流れている。