先のブログのかなこに同じく、GW前半の智頭に参加した。

後半に田植えを控えたこの時期、おれの仕事はトラクターでの田起し、その後水を入れた上での代掻きである。

4月の第2週、1度目の田起しをし、GW前半に再度の耕運。去年の失敗や工夫、先達の助言を思い出しながら恐るおそる刃を入れていく。

例年の失敗ナンバー1はとにかく「やり過ぎ」ということに尽きる。「時間もないしガッツリやればやるほどいいだろう」とばかり、トラクターの刃を一番深く下げる。稲の根を包み込むクッションの土壌のさらに下、固い地中まで掘り起こしてしまい、本来もっと攪拌しなければならない部分は不十分という結果。おかげでいつもムラができ、田植えの際一方では苗が水没するのに一方では土が水の上に出ているという残念な状態で、収穫量にも少なからず影響している。

今回はこれまでと比べ、とにかく浅く田起しをした。浅く起し、代表西村氏と共に起した跡を踏んでみて、これくらいだろうかもう少し深くだろうかと検証を重ねた。

最新のトラクターにはコンピューターが働いていて、車体の傾きに合わせて刃の向きを常に水平に保ち、「起しムラ」を防いでくれるそうだが、我々が使わせて頂いているトラクターは当然ながらそのような便利機能はなく、即ち右に傾けば右を、左に傾けば左をより深く削り取る。車体の傾きを感じ、刃の深さを調節するのはすべて運転者の匙加減である。1年、また1年と、自分たちに与えられたこの田の性格を知っていくしかない。

田に水を入れてからの「代掻き」は、地元の農業の師匠、大下さんがトラクターを入れてくれた。そのお礼という程のことでもないが、大下さんの畑のぐるりに草刈機をかける。これから夏の間、際限なく生え続ける雑草との炎天下での戦いが続く。

 

 

 

 

 

草刈といえば、水が入った自分たちの田の周りにも草刈機をかけた。

田のすぐ隣の家のおばあちゃんが、「いつもうちのがこまめに草刈してるのだが、なかなか難儀で。手が空いたらついでにやってほしいなぁ」と言ってくれた。都会暮らしにはない、これぞ近所付き合いというものである。

うちの田のあぜも含み、手の空いたとき草を刈ってくれているようで、週末農業の我々を暖かく見守ってくれる人がここにもいたかと嬉しくなる。

立ち話でそのおばあちゃんは、「ここから向こうは誰それの筆で、ここはうちの筆(ふで)で、」と言った。

どういう形、大きさのものでも、土地区画は常に一筆で描けることから、不動産などの法律用語で一区画、二区画のことを「一筆、二筆(いっぴつ、にひつ)」と言う。常日頃から隣人との関わりを意識し、人様(の土地)に迷惑をかけぬよう、という昔ながらの集落に生きる人の、生きた日本語だと思う。

この文章を書いているのが1日の深夜。既に日付は2日になっている頃である。一晩寝てその夜にはまた智頭に戻り、いよいよGW後半。田植えは4日の予定である。

今年はいい米が育つだろうか。