天気に恵まれなかったGWを過ぎ、水田の作業は一段落している。

本来、田植えが済んでからの百姓の最大の関心事は田んぼの水量であり、毎朝毎夕の「水見(みずみ)」が日課となる。週末百姓の我々は、大阪にいる間はどうぞ適切な水量が保たれますようにと祈る他何もすることができない。週末農業には、要所で前向きな「諦め」が肝心である。

 

年1回の収穫である稲作は、9月の収穫まで同じ作物の成長を見守るのに対し、畑の作物はその種類によって種蒔きから収穫のスパンは様々である。収穫のたびに畝(うね)を潰し、有機石灰など土壌を整える素材と共に耕運し、次に植える作物に適した畝を立てる。

 

自然教室で使用している耕運機は、まず家の据え置きの手押し式が 1 台、そして地元の長石さんにお借りするトラクターである。大きさに比例する造りだから、手押し式はそこそこのパワーで小回りが利き、トラクターは大きな力でがっつり、といった具合だ。ちなみにレアアイテムとして手押し式に匹敵する仕事量の「智久」という機械のようなものがあるが、これは常時宇治田原の山奥で稼動しているので智頭で使うことはあまりない。

 

特別教室の宿泊にも使われる野原の家。その裏の畑に加え、前述の長石さんにお借りしている2枚の大きな畑があり、現在その2ヶ所に植わっている作物を列記すると、

ニラ、サラダごぼう、サニーレタス、サラダ菜、ほうれん草、小松菜、チンゲン菜、イチゴ、アスパラ、ブロッコリー、玉ねぎ、エシャロット、ニンニク、

といった具合。加えて耕運機を回すと小さな野良じゃがが見つかり、これを素揚げにするととても旨い。

 

西村氏の頭の中にある計画書に基き、畑を耕し、作物を植え、収穫し、また耕しを繰り返す。その一連の作業の中でも耕す作業は特に単調な作業だが、最も重要な始めの手順である。

今回は後に大豆を植えるため、長石さんにお借りしている2枚目の畑をトラクターで耕した。耕運機のかかった土からは無数のミミズやカエル、その他の虫たちが逃げ回る。

 

その虫たちを狙って、目の前をツバメが飛び交う。さらに上空、トンビが縄張りをを主張している。

 

人間が勝手に田畑を作ることで、本来そこに住んでいた生き物たちは迷惑しているだろうと思っていた。しかし、最近ある本で読んだところによると、人間が田畑を作るからこそ整備される生態系があるという。そういえば田んぼはカエルたちの格好の住処だし、生き物がいない畑など見当たらない。

 

自然を守るとか、生態系を守るとか、大げさな内容の記事や本は多く見るが、結局生き物は自分の今日の食べ物のことしか考えていない。だとすれば人間もおおげさな考えでなく、次に智頭に行く2週間後には玉ねぎが大きくなっているからサラダにしようとか、エシャロットやニンニクができてるだろうからまず生でマヨネーズで味見して、それから、などと食べ物のことを考えていれば、そこに生きる命も自ずと増えてくる。これこそが人間のエゴの押し付けでない、本当の意味での生き物との共存ではなかろうか。

 

このあたり、すべてトラクターの作業中に考えた。

ほんと単調なんだよ耕運機って。