例会後の週末は、久々となる智頭の作業だった。今回の作業は「草取り」。雨がよく降り、気温も上がってくるこの時期に2週間もほっておいた畑は、畝の上だろうが下だろうが雑草(植物に対する差別的表現なのであまり好ましくはない言葉だが)でびっしりなのだ。初日こそ雨が降り、涼しかったものの(涼しいとカやブユが発生するのでそれはそれで困りものだ)あとの二日は好天で、焼けつくような日射しの下、畑にかがみ込んで黙々と草をとった。
それにしてもよく伸びるものだ。大豆畑が草原のように見える。サツマイモもどこに生えてるんだかさっぱりわからん。ていうか作物はもっと抵抗してくれてもいいと思うのだ。根元から有害物質をまいて半径20cmくらいにはほかの植物をよせつけないとか・・・。
それよりも問題なのはこれだけ伸びまくっている植物群のなかで利用可能な種類がシソぐらいしかないということだ。
畑に植えている分とは別に「雑草あつかい」で抜かなければならないシソがそこらじゅうに生えており、今回はその「雑草」から6リットルものシソジュースを作ることができた。
だがこれは例外ともいうべきもので、実際にぬいた植物のほとんどは人間にとって何の価値もないものなのだ。ただ草を抜くために草を抜く。これが何かになるわけではないところが実にガッカリだ。
せめてヒツジぐらいの消化能力があれば、これらの植物も作物になるのだが、我々の胃はあまりにも無力だ。ていうか無力な胃だからこそ、作物植えてるわけだし、本末が転倒しているぞ。
しかし、雑草も太陽のエネルギーを吸収・備蓄しているわけだし、なにがしかの方法で利用できるんじゃなかろうか?メタンだかエタノールだかにするとか・・・効率が悪すぎるか?しかし、草をエネルギーに変えられたらいろんな問題が圧倒的に解決されるはずだ。目の前のこの草が熱なり電気なりに変換できれば、年がら年中草取りをしなければならない、石油の湧かないこの島も一気に資源大国の仲間入りだろう。
炎天下、えんえんと続く草抜き作業、しかも手以外はあまり働くことのない作業、頭の中はぐるぐると考えだけが回っていくのだ。