先日更新した夏の智頭特別教室のアルバムを見て、日本の子どももこんな表情するんやー、と久しぶりに思いました。

【こんなに楽しそうな笑顔を近年見たことがなかった】

仕事上途上国に出張する機会が多く、どれだけ国がしんどい状況で貧困にあえいでいても、唯一の望みが「学校に行きたい」という状況でもキラキラ笑顔が輝いてる子ども達と、物に溢れた日本に生まれ育ち、恵まれている筈なのに幸せを感じない、無気力で目に力がない日本の子どもをかねてから対比させて悲観していたのです。

【ちなみに東ティモールの子はこんな感じ】

代表の西村元秀の「子どもたちがハジける瞬間」という大阪自然教室への想いを綴った文章があるのですが、そのアルバムにはまさにハジけている瞬間がそのまま切り取って写されていました。

【水面と一緒にキラキラ輝く】

【すこい水しぶき、子どもはもちろんリーダーもハジけてる】

【川遊びの楽しさが伝わってきますね、川で泳ぎたい!】

この写真を撮影した角中リーダーには、私が小学生の頃にもハジけている写真を撮ってもらっていたのですが、そんなに長年写真を撮っているだけあって、子どもたちの表情が変わる瞬間を見逃さないようです(笑)
記念撮影では絶対に出ない、真剣に何かに打ち込んでいる、ふとした瞬間の表情にその子の本質を感じさせられることもあり、自分が特別教室に参加していなくてもとても楽しくアルバムを見ることができました。

川で泳ぐ
滝に飛び込む
生き物を観察する
竹細工をする
ノコギリで切る
大人数の料理を作る
きもだめしをする

大阪自然教室の特別教室では当たり前のこれらのこと。
しかしやったことない子がどれだけいるかなぁとも思います。

【セミの脱皮、エメラルドグリーンが神秘的】

【竹細工、どんな作品ができたのかな】

【包丁で調理、一生懸命さが伝わってくる】

前出の西村の「子どもたちがハジける瞬間」に書かれている「群れの中で育つと」いうのも、自分の価値観が理解されない、人の意見を容れなければならない、信念を押し通すためには議論しなければいけない、納得がいかなければリーダーにも意見し、時には喧嘩もする。
家で家族や親せきと話す、学校で同級生と話すのとは全く違う多様性の中に放りこまるという精神的な経験がそこにあり、その中でもまれながら悩んで、怒って、泣いて、笑いながら時を重ねていけるって貴重な事だなぁと改めて感じます。

物理的な自然体験としての経験と精神的な経験の双方が得られるのが大阪自然教室の魅力なのかなぁと今さらながら思い返し、そしてそこで大きくなれたことを感謝している次第です。
そしてそれは今だから気づくのかもしれないな、とも思っています。
みんなありがとー。

【こうやって大人数で食事を作って食べて片付けてという経験も面白い】

更に、今私の周りに居る友人の多数が大阪自然教室で得た友人であり、「私、自然教室に参加してなかったらどうなってたのかな?」と考えたりもします。

物理的な経験と精神的な経験に加えて友人がたくさんできる大阪自然教室に、一人でも多くの子が参加してくれたらいいのになぁ、と考える終戦記念日。
職場の近くの靖国神社の周りはとても賑やかです。
終戦の日だから色々考えちゃうのかな。

日本の為に戦ったり守ったりして命を削った皆さんを想いつつ今日はこの辺で。

雅美