前編から長らく間があいてしまったが、「四万十の旅」後半日程でございます。

あ、今回も長いよ。

小学校で我々を出迎えてくださったのは地元の渡辺さんという方だった。渡辺さんは口屋内に在住で、黒尊川上流の森を管理する営林局につとめておられた方である。
渡部さんからは口屋内でのかつての暮らし、四万十川の現状などこの地域にまつわる様々な話を聞かせてもらった。


高知県は古くから材木や木炭の産地であり、ここ口屋内からもイカダを組んで材木を流し、同時に船で木炭をはこんでいたそうだ。木炭などは遠く大阪あたりまで売られていったとのことである。船はせんば(舟偏に帯という漢字が当ててあったが、この漢字はよっぽど大きな漢和辞典でないと載ってない。)とよばれる帆船で下りは木炭などの商品を運び、上りは中村で買った生活用品をのせて川を行き来していたそうだ。
個人的に特に興味をそそられたのは、かつて口屋内から黒尊川沿いに走っていたという森林軌道の話である。切り出した木材を運ぶために大正から昭和の初めごろまで使われていたらしい。

この森林軌道も昭和30年初頭に廃止になってしまう。というのもこのころに道路がひかれ、輸送を自動車に切りかえたからなのだが、このときに口屋内沈下橋も作られている。口屋内の沈下橋は四万十川本流に架かるものとしては一番古く、四万十川水系全部ふくめても二番目の古さだそうだ。口屋内の沈下橋は橋脚がコンクリート造りでどっしりとしていて見た目にもかっこいいのだが、それは鋼材が手に入りにくい時代に建てられた名残なのだろう。口屋内沈下橋は四万十川でもっともかっこいい沈下橋であると思う。流線型を描く重厚な橋脚と厚めの橋桁(これも下側が微妙にアーチを描いている)がなんともいえない造形美をかもしだしているのだ。川に沈むことを考えてのことなのだろうが、すべて丸くなっており角の立った部分がまるで無いのがこの美しさの秘訣だろう。ここで、おどろきの事実が判明。口屋内の沈下橋は地元の人たちの手作業により作られていたのだ。


ここまでの話で、かつての四万十川地域がだいぶ栄えていたことがうかがわれた。鉄道の導入や道路の開通もかなり早く、かつての口屋内集落には映画館まであったという。今では考えられないがそれだけ林業は重要な産業だったのである。
しかし、林業が衰退するとともに地域も活力がなくなっていき、人口も減少、今回話を聞かせてもらった小学校も今年で廃校になってしまった。
さらに、黒尊川はそうでもないが、四万十川は昔に比べると汚れてきており、透視度も3mぐらいになってしまっているとのこと。透視度60cm未満の淀川水系から来ている身としてはそれでも十分うらやましいが。ちなみに、前半部でいけしゃあしゃあと「黒尊川の透視度が~」なんぞと書いていたが、これは全部、渡辺さんの受け売りである。
過疎化や環境悪化とあまりかんばしくない現状ではあるが、それでもここには圧倒的な魅力を持つ四万十川がある。渡辺さんたちはこの四万十川の清流を活用して地域の活性化をはかろうとしており、水質調査やアユの放流などの活動をおこなっているそうだ。
四万十にまつわる話は想像以上にいろいろな発見があり、かついろいろ考えさせられるものだった。渡辺さんどうもありがとうございました。


8月19日の朝が来た。今日は四万十川で遊べる最後の日だ。しかしながら天候は曇り、とかいっている間に雨が降ってきた。ようは天気が不安定なのだ。予報もなんだかはっきりしないようである。
雨やどりがてら韓国のすごろく「ユンノリ」をする。ユンノリはすごろくながら1ゲームおよそ20分と手軽で、時間をつぶすのはもってこいだ。気がつけば雨もやみ、晴れ間も見えている。
しかし、ユンノリ大会はいっこうに終わる気配はない。1ゲーム終わるとすぐ次の1ゲームへと突入するのだ。水着に着替える様子もない。そうこうするうちにまた雨が降りそうになってきたので、やむをえず、午前中は待機とする。
実のところ、昨日までがあまりに天気がよすぎたので、四万十メンバーは全員日焼けがひどく、その上黒尊川の冷たい水である。熱したり冷やしたりで体に疲労がたまっているのだ。天気が不安定なのもむしろ幸いだったかもしれない。
とはいえ口屋内での最終日。これをのがすともう川に行くチャンスはないので、昼からは黒尊川へ行くことにした。午前中に休息をとったおかげで体力も回復した。おりよく天気も晴れ…てない。なんだかイヤな感じの雲が立ちこめている。しかし、これがラストチャンス、雨に注意しつつ川で遊ぶことにする。
川に入って30分、思ったとおり雨が降りだした。うらめしく空をながめつつ、川原で待機。どうせ川に入ってぬれているので雨でぬれるのもいっしょだと思い、雨にうたれるがままである。しかし…なんだ…、だんだん寒くなってきたぞ?大阪などの都会とちがい、自然にかこまれた場所ではちょっとの雨でもすぐに気温が下がるのだ。しかも、すぐやむと思った雨が以外とやまない。降りはじめから15分、石を抱いて川原に座りこむ四万十メンバーの間抜けな姿があった(日にあたっていた河原の石が暖かかったのだ)。
結局、この日はテナガエビのころばせを回収してそのまま川遊び終了。なんだか釈然としない最終日になってしまった。


8月20日、事実上の最終日。早朝に四万十川とはお別れである。バスと鉄道の都合で朝飯も食わずに出発する。曇天ににわか雨が降る昨日と同じ天気だが、おかげで四万十川にかかる虹を見ることができた。
中村駅で朝食。バスと列車の時間をぬって大急ぎで買い出しをすます。
口屋内を早くに出たのは理由がある。今日は夜行バスで帰るのだが、その途中に寄り道をする。行き先は黒潮町の海岸。ここには以前から自然教室がお世話になっている「塩の家」があるのだ。土佐佐賀駅で途中下車。ここに塩の家がある。塩の家はその名のとおり塩を作っているところだ。


最近は塩そのものを輸入したり、科学的に合成したりするのが主流だが、海水から塩を作っているところもまだ多少ある。その数少ない中でとりわけ塩の家が特殊なのは、火を使わない、というところだろう。普通は(というかもうこれすら普通ではないのだが)釜で海水をわかして水分を飛ばし、塩を取り出す。いっぽう、塩の家ではネットに海水をかけて自然乾燥させて塩分濃度をあげる。その塩水をさらに温室に入れて塩の結晶を作っているのだ。自然乾燥用のネットを張ってある構造物はちょっとしたビルぐらいあるのだが、それでも一度に作れる量はかぎられており、手間と時間ののかかる貴重な塩となっている。それだけにここの塩はとてもおいしい。火を使うことでなくなってしまう成分まで入っているのでうまみが段違いなのだ。豆腐にかけてもおいしいぐらいである。


塩の家の見学をした後は近くの海岸で遊ぶことにする。くみ上げてそのまま塩を作っているぐらいなのでここの海はメチャメチャきれいだ。黒尊川もそうだったが、ここも「深さがわからない」のである。腰ぐらいのつもりで入ったところが胸まであって、危うくカメラをぬらすところだった。今回の旅はきれいな水しか見ていないので、ふだん見ている水環境がどんなものだか忘れてしまいそうだ。


岩の突き出た磯は遊ぶのにもってこいの地形で、野球グラウンド一面ぐらいの広さがあるのだ。しかも引き潮のまっただ中。
さっそく海に入ろう!と思ったがここで雨だ。おまけに雷。ちょっと水につかっただけなのだが、やむをえず引き上げて様子を見ることにした。
どんどん雨は強くなってきた。初めのうちは「シャワーだ!」とか言って雨にうたれていたが、沖からはどんどん黒い雲がこっちに流れ込んでくるし、だんだんとうんざりしてきたぞ。


その後も雨は降りつづき、我々はすごすごと塩の家にひきかえすことになった。結局、海岸にいたのは1時間、そのうち海に入っていたのは10分ぐらいだった。
塩の家で夕食の準備。いまごろになって雨雲は立ち去り、腹立たしいことに空はきれいな晴れ空である。
夕食には小島さんからカツオのたたきのさしいれがあった。ここ土佐佐賀は「カツオ一本釣り日本一の町」なのだ。このたたきの劇的なうまさ!食卓が戦場になるほどで、比喩でもなんでもなく皿までなめつくしてしまった。


夕食の後、小島さんとわかれ土佐佐賀駅から列車に乗り込む。時刻は夜の7時。ここからは帰路。翌朝7時に大阪に着くまで長い旅路だ。行きは長かったたびも帰りは・・・やっぱり遠い。しかし、この距離よりも貴重な体験がこの旅にはたしかにあったのだ。