大阪北部地震Ⅰ

ド、ド、ドーンと下から激しい突き上げを受けた。ベッドの上で新聞を広げて読んでいた。続いて始まった横揺れ。隣の部屋から飛び込んできた孫を抱きながら、「えっ、東南海!」と、いよいよ日本も終わりかと思った。隣のイオンモールの地震を告げる警告音と音声が鳴り響いていた。目の前の机近辺の書類の山が崩れ、パソコンも落ちたのを見ていたはずなのに、隣の部屋の本棚も倒れた音を聞いたはずなのに、何一つ覚えていない。

どれくらい揺れていただろうか。揺れが収まり、幸いテレビも倒れていなかったのでスイッチをいれた。すると、アナウンサーが震源は大阪北部という。東南海じゃなかったのか。真下が揺れたってこと。ここは近い将来に地震が起きる確率はほぼゼロに近かったんじゃないのか。

大阪北部地震後の西村デスク回り

孫の小学校の登校当番だった連れ合いはエレベーターを降りたところで地震が起こり、戻ってきた。家にいた孫と三人で階段を降りて、とにかく下の広場に出る。お年寄りの多いこの住宅、皆放心状態だった。下の階はほとんどものが落ちなかったそうだが、耐震工事はされているものの、11階建ての9階なのでだいぶ揺れて、本や台所や私の部屋の書類の散乱はひどかった。登校途中だった上の孫も、そのまま登校して教師の確認を受けており、引き取りに行く。

ガスは出ないものの、水道と電気は来ており、空いていたペットボトルと風呂に水を貯め、玄関を開けて家にこもる。終日、サイレンを鳴らして走る救急車両と空を飛び交うヘリコプターの音が聞こえる。勤務先の校区が震央の娘は自転車で出勤途中だったらしいが、夕方帰リ道に開いていたスーパーで買ってきた揚げたてのコロッケがおいしかった。

翌日、隣のイオンモールで食料品と日用品の売り場は開いたので、開店直後に買い出しに行った。水やカップ麺などはなかったが、肉や魚も、さらに惣菜も少し調理していた。ガスは依然として出ず、予備のボンベのストックが十分あったので不自由はなかったが、行水の湯浴み程度から解放され、ゆっくり風呂には入れたのは4日後だった。